スティーブン・ユニバース レビュー (前編) : 今こそ必要なユートピア思想
スティーブン・ユニバース (2013-2020) はアメリカのアニメ専門チャンネル/スタジオのカートゥーンネットワークで制作された人気カートゥーンです。日本では2014年からカートゥーンネットワークジャパンで吹き替え版が放送され、放送局をブーメランに変えて字幕版となりましたが、先日20年11月に本シリーズ最終回”Change Your Mind(新たな心で)”が配信されました。
さて、この子供向けカートゥーンの枠を超えた傑作が完結した今、総括をしない訳には行かない! ということで、この2010年代を代表するカートゥーンのレビューをしてみたいと思います。本記事は今まさにChange Your Mindを見終わったよ、っていうような最終回まで試聴済みの方を対象に、完全ネタバレで書いております。これから見てみようと考えてる方はページを閉じて、まずは本編を見てくださいね!
本レビューの前提として、僕のファンタジーに対する考え方を少しだけ述べておきます。優れたファンタジー = 幻想は、突飛な空想ではないと思ってます。普段は(そして簡単には)認識できないけれど存在しているもの・概念を表現するものと考えています。幻想的な描写と通して現実を描いているもの、という事です。それがファンタジーの持つ力であり、そして本作のスティーブンが持つ力でもあります。
本レビューは僕が考える本作の2つのテーマに合わせて、前後編の二つに分けています。前編では、本作が表現する共感と相互理解について明らかにして行きたいと思います。
この記事を読んでくださっている方はスティーブン ・ユニバースについて予備知識を持ってる方、ファンの方が多いと思いますが、番組の概要などはこちらの記事にまとめていますので、ご参照ください。
minefage21.hatenablog.com
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目次
ジェムの世界と合体(Fusion)
最初に、本作の世界観の中核を成すジェムと呼ばれる異星人とその故郷の世界について、改めて思い出してみて下さい。ジェムは、それぞれ宝石を核とした生命体で、女性のような姿をしているけれど性別は無い存在です。彼女たちは故郷の星から様々な星に派遣され、現地の鉱石から”幼稚園”と呼ばれるジェムの生産工場みたいなものを作り、星の原材料を使い果たすまで仲間を次々と増やしては、星から星へと侵略し続けている好戦的な種族です。
石から作られた彼女達の社会は、生まれながらにして生きる目的を定められ、宝石の格によって分けられた階級社会で、完璧な宝石であるダイヤモンドを頂点に、宝石ですらない単なる石まで全てが役割を持って生きています。もちろん命令に背くことも、社会の禁忌を犯すことも許されない、効率的だけど自由のない、封建的な社会です。このように非常に暗喩的な世界観です。
ジェムという異星人の特徴として、合体という概念があります。複数のジェム同士が合体して一つのジェムになる能力です。ジェムの世界での合体は原語版ではCombineと表現され、弱いジェムが同じ種族同士で戦闘力を上げ、少しでも完璧な存在に近づく為に合体 (Combine) するものとされており、異なる種族 — すなわち身分も異なる — での合体は禁忌とされています。
対して、かつての反乱軍であったクリスタルジェムズの合体は異なる種族同士が”愛”によって行うもので、原語版でFusionと表現されます。Fusionは強い精神的な繋がりによって、元の2人 (とは限らないが) とは異なる第三者となります。とてもプラトニックなジェム の愛情表現です。合体によって宝石はより不純な、格の落ちる宝石になりますが、それは当事者である彼女たちが望んだことなのです。
(余談ですが、合体って翻訳は非常に肉体的であんまり正しくない気がします。そもそも彼女たちには肉体は存在しないという設定です)
クリスタルジェムズ、そしてそのリーダーのガーネット(ルビーとサファイアの合体ジェム)の物語は、そのままスティーブン・ユニバースのバックミュージック的なテーマ “愛”と”自由”の物語です。”愛”とは、思いやりや慈しみ、好きだという気持ち。”自由”とは恐れることなく自分のしたいように振る舞い、言いたいことを言い、なりたい自分になること。しかし、この作品は愛と自由の美しさ、魅力を描きながらも、それを礼讃するだけではありません。むしろ一歩踏み込んで、見方によっては愛と自由に付随する”責任”こそを描いていると感じます。独りよがりな愛や自由では決して上手くいかない、というメッセージです。
では、どうすればいいのでしょうか?
それこそがこの物語で描かれる、話し合い、共感しよう。相手の立場を理解し、尊重しよう、ということなのです!
不完全な存在としての3人のジェム
さて、一転して本作の主な舞台は、アメリカの海辺の片田舎にある架空の町、ビーチシティです。町外れの家に3人のジェムとスティーブンは住んでいます。本作の準主人公であるクリスタル・ジェムズの3人、ガーネット、アメジスト、パールは、スティーブンにとっては親きょうだい同然の存在であるのですが、彼女達3人は、完璧とは程遠い人物として描かれています。愛と自由を求めて窮屈な故郷から遠く離れて、今や自由に生きているハズの彼女達もまた、自身のルーツや文化・慣習からは逃れられない存在なのです。
3人の中で最も年少(と言っても何千年も生きてるそうですが)のアメジストは、一見飄々とした気の良いお姉ちゃんですが、実際は劣等感の塊です。彼女は他の2人と異なり、当初の反乱軍には属してませんでした。2人と違い、彼女の出自はダイヤモンドが地球を侵略する為の兵器として、地球で量産したクォーツの戦士の1人だったからです。しかも未熟な状態で誕生した為、本来の戦士に比べて背が低く、ずっと弱いのです。
彼女は心の奥底でこのことに苦悩し、時々周囲との関係が上手くいかなくなります。特に故郷で高貴な身分にあった保守的なパールとは意見が合わず、いつも言い争いをしています。(2人の対立は”第40話 旅に出よう”というエピソードでピークを迎えます)
彼女のエピソードは僕たち見る側の心の底にある劣等感を刺激するものばかりで、非常に心を揺さぶられます。
パールは、元々はダイヤモンドの王室でピンクダイヤモンドに仕える宮女でした。彼女はシリーズの大部分でローズ・クォーツが率いる反乱軍のNo.2として描かれ、本人もそれを誇りにしているようなのですが、シーズン5の”第146話 パールの秘密 (原題: A Single Pale Rose)”で明かされたように、ローズの正体はピンクダイヤモンドでした。彼女はピンクダイヤモンド = ローズを慕う想いから反乱軍に与しただけで、その他に何の動機付けもなかったのです。逆に言えば、愛と自由の為に、最終的には故郷も身分も捨てたのです。
パールは愛の人ですが、少し歪な愛です。彼女の愛は無私の愛ですが、同時に従属、依存、執着の愛でもあります。彼女は思いやり深く、愛するローズを何より大切にしていますが、同時に自分がないため、ローズの価値観が彼女の価値観に同化してしまっています。そして彼女からの承認欲求によって自分が支えられていた為に彼女を失った今、パールの中には故郷を裏切って寄る辺なき者になった後悔が時々顔を出してしまいます。
それは遺された彼女の子供スティーブンに対する責任からも逃げ出そうとする程、強い後悔として描かれます。(”第45話 ローズの剣”や“第75話 ミスターグレッグ”はパールの寄る辺なさを描いた名エピソードです)
他の2人と比べてガーネットは前述のように、元々のジェム、ルビーとサファイアの強い相互愛によって存在するジェムであり、自己肯定感に包まれています。しかし彼女もまた、他者や共同体(ローズとクリスタルジェムズ)が彼女の価値観を後押ししてくれたことで自己承認していました。(”第74話 愛がすべて”、“第147話 事の起こり(原題 : Now We’re Only Falling Apart)”)
長い間 (シリーズが始まる前の本当に長い間•••)、彼女達は自分達が抱える課題にはお互い目を向けないようにして (例えば”第45話 ローズの剣”では、癇癪を起こしたパールに対し、アメジストは”アイツああなると面倒なんだよ”と言った趣旨の言葉を投げかける)、ある意味では大人の節度と距離感で接していました。しかし無垢な少年であるスティーブンが介在する事で、全てが少しずつ変わっていきます。
スティーブンは、ただ大好きな家族である3人に仲良くして欲しい、嘘や隠し事なく接して欲しいという純粋な想いで、彼女達にお互い話せばいいじゃないかと促します。結果として、彼女達は少しずつお互いの抱える問題や不満を口に出して伝えるようになり、自分の考えに固執するのをやめていきます。そしてお互いに、時には敵だった者とも、理解を深め、融和していきます。努力して欠点の無い完璧な人間を目指すのではなく、話し合い、伝えることで、共感し、お互いの欠点・特徴を認め、次からはより気遣うようになる、その過程を描くです。
本ブログの冒頭、”はじめに•••”という記事(下記リンク)でも書きましたが、この話し合う(Talking each other)こそがスティーブン・ユニバースの第一の重要なテーマであり、作者がどうしても伝えたいことなんじゃないかと思います。
ここで大事なのは、思ってるだけじゃなくて"口に出して伝える"という部分で、作中で特に重視されてます。言わなきゃ分からないし、分かるように言う努力をしてね、ってことです。辛いけど、そうすればいつかは分かってくれる、より生きやすい世の中になるよ、(そしてそれを一人一人が信じなきゃだめだよ)というメッセージを、この作品は視聴者に伝えてるんです。
更に特筆すべきなのは、このきちんと言葉で伝えることによって、魔法のように瞬く間に問題が解決することが決してないところです。ストーリテリングの為の"悩み"ではなく、非常に繊細に、現実的に描かれています。
現実世界では他人に悩みや不満を話して多少重荷が取れても、そんな程度じゃ本当のストレスは解決しない。この作品も同じように、やはりすぐには解決せずに悩みに立ち返ってしまったりします。結局この物語が表現しているのは、話せば解決する、ではなく、話して理解してもらうことで、周囲からの理不尽な責めや不理解に悩まされることが無くなり、最終的には時間が物事を解決する、と言っているのです。本当に恐れ入った! って感じですが、それを100話以上のシリーズというフォーマットを通して表現しているのです。
善悪を描くのではなく、客観的事実を描く
さて続いて、本作の"視点"については述べていきたいと思います。
本作は徹底して相対的であり、善悪のような絶対的な価値観を描く事はほとんどありません。先の述べた様な登場人物たちの”欠点”も、”欠点”として描かれていないかも知れません。見方によってはそう見えるよね、って程度の表現です。
作品の視点が既に、彼ら・彼女たちの欠点を認めているのです。
(そのせいで少々分かりにくいというか、作者の意図を読み違えそうになるという問題はない訳ではないですが•••)
例えばビーチシティの住民の中に、オニオンという子供がいます。僕のお気に入りのキャラクターです。
彼は小学校低学年くらいの雰囲気ですが、正確な年齢は分からず、そもそも学校に行っている様子もありません。昼間から街中をブラブラしては物を盗んだり、壊したり、壁に落書きしたりしています。言葉(英語)も話せない様で、まともなコミュニケーションはとれません。文章で描くと悲惨ですが、そんな彼の特徴は基本的にちょっと滑稽に描かれます。彼の母親ビダリアは芸術家で、家のガレージをアトリエにして沢山絵を描いています。
まあすなわちオニオンは、放任というかほとんど育児放棄された子供な訳です。
このお母さん、いわゆる社会的、倫理的基準から見た場合は、”悪”に分類されると思うんですが、作中ではそんな風に批判的に描かれる事はありません。どちらかというと飄々とした人で、決して根は悪人ではないだろうと描かれている気がします。アメジストやスティーブンのパパ・グレッグとも旧知の仲です。彼女は典型例ですが、本作はマザーコンプレックスの作品とでもいうべき、色々な子供と問題を抱えているお母さんが登場するのですが、みんな根は良い人に見えます。
ただ、非常に客観的に事実が描写されています。決して彼女の育児放棄を隠したりはしていません。すなわち肯定していません。”欠点”という言葉で語るにはちょっと重い特徴なんですが、そのまま描かれます。とても現実的な描写です。
この様に作者は登場人物たちを断罪することなく、何も決め付けず、視聴者に判断を委ねます。どんなものでも見方によって変わるということ、人の性質はある一つの問題によって決め付けられるものではないということを示しているのです。
大変、独特かつ秀逸な視点であり、面白い表現と感じました。
(ただ、ステボニーのライバルとして登場するナルシストな青年、ケヴィンだけはダメ人間として描かれてましたね•••)
ヴィラン(敵)が象徴するもの
本作のベースストーリーはクリスタルジェムズ(反乱軍)の生き残りである3人およびローズの息子スティーブンと、故郷の星から地球に侵略に来るヴィランのジェム達との戦いが描かれています。この戦いは、力のぶつけ合いではありません。ヴィラン達はどれも強大な力を持った存在として描かれますが、それ以上に彼女達は”相互理解や共感を阻む”性格的な特徴を持った存在として登場します。彼女たちとの戦いもまた、強さを競うものではなく、やはりコミュニケーションなのです。
最初に登場する強大なヴィランは”第25話 魔法の鏡”から“第26話 海を取り戻せ”で立ちはだかるラピス・ラズリです。彼女は基本的に悪意はないのですが、自分の身が危険にさらされるという極度の恐れから、周囲に対して非常に攻撃的です。
シーズン1終盤からシーズン2においてメインのヴィランとして登場するペリドットは、自身の強すぎる考えや拘りから、シーズン2後半でのスティーブンとの対話において、お互いの壁と取り払うことができずにいます。
”第98-99話 ビスマス”に登場するかつてのクリスタルジェムズであるビスマスは、戦争の為に敵のジェムを殺すことを厭わない性格でローズと対立します。
そしてシーズン3のメインのヴィランであるジャスパーは、完璧であること、強靭であることこそが優秀さの単一の物差しであり、ダイヤモンド(=社会)に奉仕できない者は存在価値がないと考えています。そして彼女達は皆、そういった意見の相違を、力でねじ伏せることによって押し通そうとするのです。
ヴィラン達との戦いというのは、彼女達の内面との対話に他なりません。彼女達の根っこの思想は突拍子もないものではなく、安易に答えを出すこともできない類のものです。単なる善悪の戦いではないのです。そうして対話を拒絶する彼女達に対し、スティーブンは戦いを挑みます。
最終回、Change Your Mind(新たな心で)では、故郷の星ホームワールドを支配するブルーダイヤモンドやイエローダイヤモンドに対し、彼女達の内なる問題――王宮の家族であるホワイトダイヤモンドとの不仲を解決するように促します。あれほどの権力を持って、強大であったイエローダイヤモンドが、吃りながら君主ホワイトに”話をしよう”と呼びかける場面は感動的で、正にスティーブン・ユニバースという名シーンです。
本作はこういった極めて現実的なコミュニケーションの課題を本筋として、スティーブンという無垢な少年の視点を介して、お互いの理解を阻む問題の本質を露わにし、その解決に取り組む物語になのです。
魔法の戦いではなく、理解と共感こそが道を示す
愛と自由を成就させる為の戦い = 理解と共感こそが、スティーブン・ユニバースの1つ目のテーマであると思います。本作は、不思議な力を持った少年の話ではあるのですが、”少年が力を開花させて行き、より強い敵と戦い地球を守るようなヒロイズムを描いた作品”ではありません。本作の主人公であるスティーブンのヒロイズムは、”敵との戦い”ではなく、身近な問題の解決や、内的な成長の為に使われるのです。そしてその問題は非常にリアルに描写され、とても身近に感じられます。
確かに、本作で描かれる解決策は現実的ではあるけれど、同時に本作は人間の善性みたいなものを信じているところがあり、それは少しユートピア思想的でもあり、全ての人にとって信じられるものではないかも知れません。スティーブンのように振る舞っていれば物事すべてが上手くいくなら、世の中の揉め事はすべて無くなってるよ、と否定的に思われるかも知れません。
それは事実かも知れません。いや、僕も事実だと思います。
でも、だからこそ、この物語が必要なんだと強く思うのです。
悲観的な人間観はいつの時代も人気があります。世の中が混乱していれば尚更、勢いを増して行くものです。そういったペシミズムを描いたフィクションも沢山あります。これが現実だから、と残酷な出来事や状態が表現されています。そういった物は確かに僕たちに考える機会を与えます。ただ、それだけでは片手落ちではないでしょうか?
たとえ夢想的な理想だったとしても、その形を示すことはとても大事なのではないでしょうか。それによって僕たちは想像力を働かせる助けになり、少しでも前向きな考えを持てるようになるのではと思います。そんなメッセージに僕は強く感動しました。
後編では2つ目のテーマとして、スティーブンという少年自身の描き方を通して、物語が本当に描きたかったものを見ていきたいと思います。
後編はこちら↓
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